Exp. 400: NW Greenland Glaciated Margin
船上レポート
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(2023年 09月12日受領)
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(2023年 08月28日受領)
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(2023年 08月24日受領)
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(2023年 08月22日受領)
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(2023年 08月20日受領)
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(2023年 08月17日受領)
船上レポート1:JOIDES Resolution号、出航しました
関 宰(北海道大学 准教授)
2、3日前からの我々の任務は最初の掘削地点に着くまで「待機」だ。
もうちょっと砕けた言い回しで、現状をより的確に説明すると「暇」だ。
8月17日、ジョイデスレゾリューション号はグリーンランド北西部バフィン湾に向けて、レイキャビクから出航しました。出航してからしばらく経つと徐々に揺れ始めたので、あらかじめ酔い止め薬を飲んでおいてよかったです。私は船に弱いのです。
今回は私にとって3回目のIODP航海なので、出航時に特に興奮することはなかったです(冷めていてすみません)。ですが、今回が初めての乗船の研究者も多く、彼らがデッキ上で興奮している姿を見て自分も最初の時はあんなだったかもしれないなあと思いながら、徐々に離れていくレイキャビクの街を眺めていました。
これから約1週間かけて最初の掘削サイトに移動します。なので忙しくなるのはまだちょっと先になりそうです。
それまでに船の揺れに慣れるというのが私にとって今の最大のミッションですね。
ではまた。
船上レポート2:本日も待機中
関 宰(北海道大学 准教授)
2、3日前からの我々の任務は最初の掘削地点に着くまで「待機」だ。
もうちょっと砕けた言い回しで、現状をより的確に説明すると「暇」だ。
このような状況になっている理由は2つある。1つは掘削地点までの移動に1週間ほどかかるからだ。もう一つはレイキャビクの港でコロナ対策のため数日間の停泊を余儀なくされたけど、その間に安全講習や船内ツアーなどが全て終了してしまい、出港後にやるべきことがなくなってしまったからである(これまでの乗船では移動中に講習やツアーを実施していた)。
実際に何もやることがなかったわけではなく、それぞれのチームは分析のメソッドを確定し、記述するというタスクがあった。でも、今回、自分は用意周到にも前回ジョイデスに乗船した時に作成したメソッドのファイルを持ってきていたので、作業が一瞬で終わってしまった。柄にもない用意周到さがある意味仇になったわけだ。慣れないことはするものではない。
というわけで、今も「待機」という重大任務を遂行中なわけだけど、このような特殊な環境でただひたすら暇な時間を与えられると当然のように色々なことを思い出す。
で、今年の6月に海外調査に出かけたときに出会った風変わりなカナダ人のカメラマンのことを思い出した。彼の仕事は研究者が実際にどのようなことを行っているのかを一般の人に紹介することだ。しかし、彼の風変わりな点は研究という行為が実際はいかに「地味」で「退屈」な作業の連続なのかということを伝えることに力点を置いていることにある。まあ、確かに実際はそうだろう。研究者の毎日が特にエキサィティングというわけではないしね。実験とかフィールドワークとか実際はルーティンワークでタフな仕事だ。でも研究って本当は地味で退屈な作業だよって紹介する記事を誰が読むだろうか?風変わりな人もいるなあとその時は思ったものだ。
しかしよく考えてみると、今の自分は彼にとってまさに完璧な被写体だ。ただひたすら待機しているだけなので、退屈を持て余している。もし今彼がここにいたとしたら、嬉々として、カメラを私に向けてシャッターを押しまくったに違いない。ちょっと彼に連絡してみようと思ったけど、次の瞬間にそれができないことに気づいた。スマホを家に置いてきたからだ。彼との連絡はスマホのWhatsAppとかいうアプリでしかできない。そういえば名前も覚えていないな(自分は人の名前を覚えるのがとても苦手なのだ)。コンタクトは残念ながら諦めることにしたが、彼のことを思いだしたおかげで、今回の船上レポートのテーマが決まった。「地味」と「退屈」だ。研究という営みに関してこれまであまり語られてこなかった側面について、彼に代わって自分がお伝えしてみようと思う。でも忙しくなったら、更新しないかもしれないので、あまり期待しないでほしいです。あ、でも地味で退屈な出来事の記事などそもそも誰も期待していないか。
ではまた。
船上レポート3:「治験バイト」と「人類のラスボス」
関 宰(北海道大学 准教授)
そんなわけで今日も相変わらず待機中である。
気晴らしに外に出て海を眺めたりしてみる。あたり一面の海を眺めていたら、JAMSTECの大河内直彦さんの名著「チェンジング・ブルー」の冒頭の一説を思い出した。この本は気候変動について解説した一般書籍だ。手元にその本がないので正確な記述は覚えていないけど「海の青が好きだ」みたいな感じだったと思う。まるで映画や小説のモノローグのよう。詩的で素晴らしい出だしだ。若かったころに夢中で読んだ記憶がある。読んで大河内さんは天才だと思った。でも、いま目の前に広がっているグリーンランド沖の海の色はどす黒くてちょっと怖く感じ、自分には好きになれそうにない。やはり自分は天才ではなかったか、、、
このような中二病劇場を脳内で繰り広げていたが、外は寒いのですぐ船内に引き返し任務(待機)を続行することにした。
さて、これは船上レポートなので船内の状況をみなさんにお伝えするのが趣旨だ。どうしたらうまく説明できるだろうかと船酔いで霞がかった頭をフル回転させて色々と思考を巡らせてみたところ、かつて博士課程の頃に経験したあるバイトのことを思いだした。そう、「治験バイト」だ。
治験バイトについて詳しく知りたければ、現代の神と呼ばれるgoogle神のお告げに耳を傾ければよいけど、簡単に説明すると、新しい薬などの効果や副作用を明らかにするため、実際にその薬の効果を試す被験者となるものだ(はい、これもググりました)。
自分の時は、たしか血中コレステロール値を下げる薬の効果を試すための2泊3日の治験だったと思う。その時の状況と今の状況はすごく類似している。治験者は所定の大きな部屋で一緒に過ごすのだが、治験が終了するまでは部屋から一切でられない。外で散歩も禁止だ。食事や寝具など全て用意されるので何もする必要がない。いま船内の状況も全く同じだ。また、単に状況が類似しているだけでなく、その間の人々の行動の変容さえも全く同じなのだ。
どういうことかというと、最初治験が始まった時は(このとき私は研究室の仲間と3人で治験バイトを受けたのだけど)非日常的な環境に軽く興奮しているので、色々と喋るわけだけど、それも一段落すると、部屋に提供されている漫画とかゲームなどでひたすら暇を潰すようになる。しかしやがてそれにも飽きがくる。そうすると最終的には、拘束されているストレスなどもあり、ぼーっとしながらこの治験が終わるのをただひたすら待つだけになったのを覚えている。
一方、船内においてこれまでに起こった変化はこんな感じだ。乗船した直後はみんな大興奮。やたらと喋りまくり、奇声さえとびかうほどだった。けど、だんだんと落ち着いてきて、論文とか本を読んだり、音楽を聴いたりと、みな思い思いのやり方で時間を潰すようになる。でもやっぱり最終的には飽きてきて(ある乗船者はがんばって論文を読もうとしたが、棒読みを何度も繰り返したあげくにさじを投げた)、何もかも手につかなくなり、今はみんなぼーっとする時間が増えてきている。
というわけで、現在の船内の状況を例えるとしたら、それは治験バイトをしているようなものだといったら皆さんイメージが湧くでしょうか?うーん、でも治験バイトを経験した人って少なそうだから、あまり良い例えではなかったかもしれない。まあでも、この2つの事例からは、人は行動の自由が制限されたり、変化のない状況が長時間続くことに対する耐性が弱い生き物であることがわかる。要するに我々は暇には耐えられないということだ。
で、「暇」で思い出されたのが、以前に読んだ任天堂の社長かもしくは重役の人が書いたネットの記事だ。なんでも任天堂という会社の使命は「人類にとってのラスボス(ゲームのラストボスのこと)との戦い」だそうだ。で、そのラスボスが「暇」だ。どういうことかというと、社会の発達の過程で人間はこれまでに安全や衣食住などの確保や、労働生産性の向上を成し遂げてきたわけだけど、それらが十分に発達すると必然的に自由(暇)な時間ができるようになる。でも、いま我々乗船者が身を持って示したように、人間は暇には弱い。そういうわけで、暇とは社会の発達の最終段階で現れるラスボスということだ。任天堂はそれに対抗するべく暇を潰すための娯楽を提供している。素晴らしいではないですか。今すぐゲーム機を送って欲しい。
というわけで、現在の船内の状況をさらに例えるとしたら、ラスボスと戦っているという状況と言えるだろう。でも、HPもMPも底を突きかけているし、装備も貧弱なので、まるで勝てる気がしない。だけど、全てが順調にいけば8月24日にこの戦いから解放されるはずだ。
その日が待ち遠しい。「Core on Deck!」というファンファーレが最初に船内に響き渡る時が。
しかし、自分はジョイデス経験者なので、それは、単に戦いの局面が変わるだけにすぎないってことを知っている。それでも現状よりは確実に良くなることだけは確かだ。
ではまた。
船上レポート4:「Core on Deck!」直前
横山 由香(東海大学 助教)
こんにちは.東海大学の横山です.今回,Physical Property Specialistとして,JRに初乗船しています.出港してから約1週間,ここまで関さんがレポートをしてくれていましたが,私もなんとなく筆を執ってみました.
関さんのレポートのように,この一週間は,トランジットでした.この期間,ずっとコロナ対策が取られていて,船内はまだマスクをする状況です.かなりしっかりとした対策が取られています.(抗原検査も毎日しています.)
トランジット中はLabグループごとに準備をしていました.が,出港から1週間がたち,そろそろみんなコアが来るのを待ちきれない状況になっています.また,数日前からは,ワッチ体制に入り,みんなそれぞれ生活リズムを整えたりしていました.ちなみに,関さんはナイトシフト,私はデイシフトなので,交代時間のミーティングで顔を合わせるのみになってしまいました.私の一週間の感想としては,作業を覚えることもですが,早口の英語についていくのが大変でした...今もですが(英語もっと勉強します.)
そして,いよいよJRは今日,最初の掘削サイトに到着します!
おそらく今日のこちら時間深夜(日本と12時間差です)には,一回目の「Core on Deck!」が聞けるのではと,みんな心待ちにしているところです.それに先立ち,今日はオペレーションツアーがあり,リグフロアなどの見学をしました.かなり楽しみにしていた見学ツアーだったのですが,見学場所が外だったので,もうめちゃくちゃ寒い!そもそも寒い海域ですが,それに加えて雨なので,想像以上に寒く,完全に北極圏をなめていました.しかし,ツアーはとても興味深く,普段は入れないところにも入れてもらい,いよいよ掘削が始まるな~と実感しました.
しかし,ラボはまだとても静かです.嵐の前の静けさといったところでしょうか?
コアが上がってきたら,大忙しになると思います.それを恐れつつもうれしい悲鳴として期待しながら,戦い(?)前の静けさを堪能して,コアを待ちたいと思います.
このレポートを書いている間に,サイトに到着したようです.
まもなく掘削作業が始まると思われます.では!
船上レポート5:この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ 〜ホームカミング〜
関 宰(北海道大学 准教授)
神様にワイロを贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?
–THE BLUE HEARTS「青空」–
もし天国と地獄のどちらに行きたいかって尋ねられたら、みなさんはどう答えるだろうか?痛みや苦痛に至上の喜びを感じる究極のマゾヒストでもなければ、たいていは天国って答えるに違いない。自分だってそうだ。でも、自分はそんな運命にないってことをIODPからの招待状がはっきりと教えてくれた。自分に渡されたのは地獄行のパスポートだった。こんなことになるなら神様にワイロを贈ってでも天国へのパスポートを手に入れるべきだった。
まだ、お伝えしていなかったけれど、船内での自分の役割は地球化学分析だ。これまでのIODP航海の船上レポートでも紹介されていると思うけど、ジョイデスレゾリューション号のラボは上層フロアのコアラボと下層フロアの地球化学ラボで構成されている。メインは上層のコアラボだろう。複数のチームが配置されており、多くの乗船研究者が働いている。微化石や古地磁気研究者など年代を推定するという重要な役割を担った者が働く場所だ。一方で、下層の地球化学ラボは文字通り地球化学分析をするところで、有機地球化学者と無機地球化学者だけが仕事に従事している。天国と地獄というと、天国は雲の上で地獄は地の底ってイメージがあると思うけど、ここでも同様に上層のコアラボが天国で下層の地球化学ラボが地獄となっている。
なぜ地球化学ラボが地獄なのか知りたければ、その入り口に立ってドアの上を見上げてみればよい。そこにはここが確かに地獄であることがはっきりと刻まれたプレートが貼りつけられている。
「ENTER HERE & ABANDON ALL HOPE」
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と訳せるだろう。これを見てピンとくる人もいるのではないだろうか。おそらくこれはダンテの「神曲」からの引用だろう。自分は読んだことがないけど、神曲はイタリアの詩人ダンテが書いた長編叙事詩で世界文学の最高傑作と謳われているそうだ。この叙事詩は地獄篇、煉獄篇、天国篇の3篇で構成されているが、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘文は地獄編においてこの物語の主人公が地獄の門の入り口に辿り着いた時の一説らしい。地球化学ラボの扉はまさに地獄への入り口ってわけだ。ちなみにこの扉は重い。力を込めて押さないと開かないようになっている。これはラボ内が陽圧になっているからだけど、まさに地獄への門としてふさわしい重厚感ではないか。
いったいどこの誰がこんな酔狂なプレートを貼り付けたかは知らないけれど、なぜこんなものを取り付けたのか、なぜ希望を捨てる必要があるのかちょっと考えてみた。簡単に思いつく理由としては地球化学ラボの仕事が極めてルーティンワークだからなのかもしれない。自分の仕事は堆積物中のメタンなどの炭化水素ガス濃度や無機・有機炭素含有量の測定だが、正直に言ってエキサイティングな作業とは言い難い。この単純な作業が、掘削が終わるまで延々と続くわけだ。また、得られるのは基礎データなので、重要ではあるものの深い解析ができるほどのものではなく、あれこれ議論するためのネタとしてはちょっと不十分なのだ。だから余計な望みを持たずに、ただ与えられた仕事に従事しろということなのかもしれない。
でも、もうちょっと深掘りして考えてみる。もしかしてこれは掘削計画に過剰な期待をするなと言っているのではないだろうか。IODPの掘削計画は何年もかけて計画され、厳密な審査にパスしたものだけど、ほぼ期待通りの試料が得られるケースはかなり幸運で、むしろ期待とは違うケースの方が多いと思う。でも、実はそこが面白いところなのかもしれない。期待以上の宝を掘り当てる可能性だってあるからだ。きっとそうだ。フォレストガンプのお母さんなら「掘削はチョコレートの箱のようなもの、開けてみるまで中身はわからない」ってやさしく言ってくれるにい違いない。だから、本当はこのプレートは地球化学ラボではなく、ジョイデス・レゾリューション号の入り口にあったほうがふさわしいのではないか。
こんなふうにその意味をできる限り前向きに捉えようと努力しながら地獄の門に向かって歩く。ちなみに自分はかつて2度この門を潜ったことがある。今回で3度目だ。
地獄の門に辿り着く。意を決し、力を込めて扉を思い切りと押すと、懐かしい顔が目の前に飛び込んできた。4年前のIODP 第382次航海で一緒に乗船した地球化学ラボの技官のヨハンナだ。彼女は笑顔で「おかえり」と迎えてくれた。この瞬間自分が何もかも間違っていたことに気がついた。ここは地獄なんかじゃない。かといって天国でもない。自分にとってここはホームだったんだ。神様にワイロを贈る必要なんてなかった。自分は正しいパスポートを手に入れていた。4年ぶりに帰ってきた。ただいま。さあ、これから素晴らしきルーティンワークの日々の始まりだ。
今日は、ホームカミングデイだ。
ではまた。
船上レポート6:天使の顔をした白い悪魔
関 宰(北海道大学 准教授)
またしてもやつがやってきた。それは前触れもなく現れては我々を惑わし去っていく。極域、特に氷床の近傍にだけ出現する白い悪魔。その名はアイスバーグ(氷山)だ。氷山の接近が危険なのは、タイタニック号の悲劇が示す通りだ。グリーンランド近傍で掘削する以上、こいつとの遭遇は避けられない運命にある。そういうわけで、今回の航海ではアイスナビゲーターが乗船しており、白い悪魔が危険な距離に侵入してこないかどうか常に目を光らせている。そして、氷山がレッドゾーンの半径内に侵入した場合に掘削は即座に中断され、白い悪魔が去っていくまで待機を余儀なくされる。これは安全のためにやむを得ないのだが、それによって貴重な時間が奪われてしまうわけだ。これはとても大きな損害だ。そして、白い悪魔が厄介なのは、我々の本来の目的(掘削)を忘れさせ、あまつさえ満足した気分にさせてしまう魔力を秘めていることだ。
何が問題かというと、本来ならば氷山の接近は望ましくない事態のはずなのに、みんなそれに魅了されてしまうのだ。誰かが氷山を発見し「氷山が来てるぞ」とみなに知らせようものなら、みんな一目散に外に飛び出し、興奮しながらカメラのシャッターを押しまくるという光景が幾度となく繰り返されている。それにより掘削の時間が削られてしまうことなど全く気にもとめてない様子で、氷床の近傍でしか目にすることのできない現象に心を奪われている。本当は損をしているのに、なんだか得した気分にさせてしまう氷山は、まさに天使の顔をした悪魔ではないだろうか。
4年前のIODP航海でも同様の現象が起こっていたな。なんといってもその時の航海名には「アイスバーグアレイ」というワードが入っているくらいで、氷山祭りの航海だった。しかもその時にやってきた巨大氷山にはペンギンが無数に乗っているという特大のおまけ付きだ。ものすごい魔力を撒き散らして我々を大興奮の渦へといざなってくれた。というわけで、この白い悪魔の前には我々はなすすべもないことを今回の航海で再確認することとなった。
しかし、国や文化、宗教、言語などのバックグラウンドが異なるにも関わらずみんな同様の反応を示すのはとても興味深い。この一様な反応から、人間の本質が垣間見えるような気がする。滅多に見ることのできないもの、とても珍しいものに対する異常なほどの関心だ。おそらく、これは我々人間が「希少性」に異常な価値を見出してしまうことから生じているのではないだろうか。
考えてみると、我々の行動や反応の多くがこの希少性で説明がつきそうだ。我々はそれが真の価値があるかどうかは関係なくレアものにとても弱い。また、モノだけでなく、なかなか就けない職業とか、優れた身体能力を持つトップアスリートとかを異常なまでに称賛してしまうのも希少性に価値を置くからだろう。さらには、なぜ資本主義が広く普及したのかも説明がつく。なんでも資本主義は希少性を生み出す装置だそうだ。人間は希少性を求め、資本主義は希少性を生み出す。これはもう完全無欠のウィンウィンの関係だ。すなわち「やめられない、とまらない、かっぱえびせん!」ならぬ「やめられない、とまらない、しっほんしゅぎ!」だ。かつてかの国が始めた共産主義という壮大な社会実験が最終的に資本主義に敗れ去ったのもうなずけるというものだ。
話がだいぶ脱線してしまったけど、この希少性崇拝のせいで例えば堆積物コアの中に想像以上に大きな岩石が入っていたら、みんなうわーってなるのだ。いや、かなり大きいというだけでただのドロップストーンだろ。なんだかしょうもないことで興奮している我々だ。まったくなんてヘンテコな性質を人間は持ってしまったのだろう。ちなみに今回の掘削も後半戦に突入し、これからよりグリーンランドに近いサイトに移動していく。白い悪魔の出現率はより高まるだろう。大挙して押し寄せてくるかもしれない。そうなったら、自分も嬉々として船外に飛び出していくに違いない。このようなどうしようもない我々人間の性をうまく捉えた表現はないだろうかと考えを巡らせてみたところ、鬼才コーエン兄弟の映画「ファーゴ」の宣伝キャッチコピーを思い出した。
「人間はおかしくて、哀しい…」
ちなみにこんな取り止めもないことを考えてしまっているのは、氷山が来たせいで掘削が中断しているからに他ならない。過ぎ去ったと思ったはずのラスボスがまたしても現れたということだ。「ぜんぶ、雪のせいだ。(JR SKISKIキャンペーン)」ならぬ「ぜんぶ、白い悪魔のせいだ。」ということでご容赦願いたい。
ではまた。